南丹生活

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蔡焜燦(さいこんさん/ツァイ・クンツァン)

昭和2年(1927)〜

台湾の実業家。日本統治下の台湾台中州に生まれる。昭和20年1月、志願兵として陸軍航空学校に入校し、少年航空兵となるが、奈良県の岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊で終戦を迎える。昭和21年に帰国し、実業の世界に入り、偉詮電子股分有限公司会長。平成5年、『街道をゆく〜台湾紀行』の取材で司馬遼太郎の案内役になり、文中でも「老台北」というニックネームの案内役で登場している。台北李登輝友の会会長。著書に『台湾人と日本精神〜日本人よ胸を張りなさい』。南丹市とのゆかりは、終戦後、美山町知見で2ヶ月ほど炭焼きをしていたという経験を持ち、僅かな期間ながら美山を第二の故郷と述懐している。平成17年に来日した時には、靖国神社・司馬遼太郎の墓などとともに美山にも訪れた。

「終戦後、しばらくここで炭焼きをしました。ぼくの第二の故郷です。その美しい日本の山村の姿を孫に教えたかった。訪ねると住んでいた家は残っていたが、ワラぶきの家々はほとんど姿を消し、山道もアスファルトに変わっていました。しかし川だけは昔のままに青く澄んで流れておりました。それがうれしかった。」

(平成17年8月22日、産経新聞朝刊「台湾少年飛行兵の靖国」より。執筆は石井英夫元産経新聞記者)

更新日 平成20年4月9日

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不知火京介(しらぬいきょうすけ)

昭和42年(1967)〜

八木町出身のミステリ作家。大阪大学卒業後、監査法人に就職するも約3年で退社し、小説家を目指す。学習塾教師、森林組合職員など様々な職業を経て、平成15年に『マッチメイク』で第49回江戸川乱歩賞を受賞。その他の作品に『女形』がある。

更新日 平成19年9月23日

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新道弘之(しんどうひろゆき)

昭和16年(1941)〜

美山町在住の染織作家。京都市立美術大学美術専攻科修了。昭和56年、美山町に北工房を設立して創作活動を行ない、世界的に個展を開催。クリーブランド美術館やイスラエル国立美術館などに作品が収蔵されている。元京都芸術短期大学教授。平成17年に美山町北に「ちいさな藍美術館」を設立。

更新日 平成19年9月23日

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杉本淳子(すぎもとじゅんこ)

昭和12年(1937)〜

旧富本村西田(現八木町)生まれの服飾研究家。富本小・八木中・園部高を経て藤川服飾学院(現京都造形芸術大学)卒業。京都造形芸術大学名誉教授。江戸東京博物館に展示されている鹿鳴館ドレスの複製品作りなどにも尽力した。八木町在住。

更新日 平成19年9月23日

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菅生桃子(すごうももこ)

美山町出身のパワーリフティング選手。京都府立農芸高等学校3年に在学中の2007年世界サブジュニア・パワーリフティング選手権大会56キロ級で優勝。農芸高校はこれまでパワーリフティングの強豪選手を輩出してきたが、世界大会での総合優勝は菅生桃子が初めての快挙。

更新日 平成19年9月23日

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